ある30代主婦が「探偵」という選択をするまで

第1章:完璧だったはずの日常に落ちた「黒い染み」

ダイニングテーブルには、ラップのかかった冷めたハンバーグと、手付かずのサラダ。壁掛け時計の針は23時を回ろうとしていた。
リビングのソファで、佐々木美咲(34歳)は膝を抱えていた。2階からは、6歳になる長男・**陸(りく)**と、3歳の長女・陽菜の寝息が静かに聞こえてくる。

「ただいまー。ごめん、今日も遅くなった」

玄関のドアが開き、夫の健太(36歳)が帰宅した。IT企業の営業職。人当たりが良く、少し垂れた目尻が優しげな、自慢の夫だった。…かつては。

「お帰りなさい。ご飯、温める?」
「いや、いいや。コンビニでおにぎり食べてきたから。シャワー浴びてすぐ寝るよ」

健太は美咲と目を合わせることなく、そそくさと洗面所へ向かう。その背中を見つめながら、美咲の胸の奥で、鉛のような重たい塊がずしりと沈んだ。

違和感を覚えたのは、ここ3ヶ月ほどのことだ。
きっかけは些細なことだった。健太がスマートフォンを、入浴時にも脱衣所に持ち込むようになったのだ。以前はリビングのテーブルに放り出していたのに、今では肌身離さず持ち歩く。そして、画面を下にして置く「フェイスダウン」が定位置になった。

(考えすぎよ。年度末で仕事が忙しいだけ)

美咲は何度も自分に言い聞かせた。しかし、女の勘——いや、妻として10年近く彼を見てきた「観察眼」が、脳内でけたたましい警報を鳴らし続けていた。
残業が増えた。休日出勤が増えた。そして何より、私を見る目に「関心」がなくなった。

ある夜、健太がリビングで寝落ちしたことがあった。
美咲は鼓動が早まるのを感じながら、テーブルに置かれた彼のスマホに手を伸ばした。
画面をタップする。パスコード入力画面が現れる。
結婚記念日の「1122」。
……弾かれた。
陸の誕生日。「0824」。
……弾かれた。
画面には「パスコードが間違っています」という無機質な文字。

「……変えたんだ」

背筋が寒くなった。やましいことがなければ、今まで家族に教えていたパスワードを黙って変える必要などないはずだ。
その夜、美咲は一睡もできなかった。隣で高いびきをかく夫の顔が、全くの他人のように思えてならなかった。

第2章:泥沼の「自力調査」と、壊れゆく心

疑念は、一度芽生えると毒草のように心を侵食する。
美咲は「証拠」を探すことに取り憑かれるようになった。いわゆる「自力調査」の始まりだった。

まずは、財布とカバンのチェック。健太が入浴している15分間が勝負だ。
手が震える。心臓が口から飛び出しそうだ。もし今、彼がお風呂から出てきたらどう説明しよう?
「何してるんだ?」と聞かれたら?

カバンの奥から、くしゃくしゃに丸まったレシートが出てきた。
『イタリアンバル・ソレイユ』。日付は先週の金曜日。時間は19時30分。
大人2名。ワイン、カルパッチョ、アクアパッツァ……。
その日、彼は「急なトラブル対応で会社に残る」と言っていたはずだ。

「嘘つき……」

レシートを握りしめる手が白くなる。でも、これだけでは証拠にならない。「部下と行った」「接待だった」と言われればそれまでだ。もっと決定的な何かが欲しい。

美咲はネットで「浮気調査 自分」と検索した。
GPS発信機、ボイスレコーダー、追跡アプリ。様々な情報が溢れていた。
ネット通販で3000円ほどの小型ボイスレコーダーを購入した。これを彼の車に仕掛けよう。
しかし、いざ深夜の駐車場に行き、夫の車の助手席の下にテープで固定しようとした時、近所の住人が犬の散歩で通りかかった。

「あら、佐々木さん? こんな時間にどうしたの?」
「は、はい! あの、車の中に陸のおもちゃを忘れたみたいで……!」

心臓が止まるかと思った。まるで犯罪者になったような気分だった。
冷や汗が止まらない。私は一体何をしているんだろう。愛する夫を信じたいのに、夫を陥れる罠を仕掛けている。この矛盾が、美咲の精神を蝕んでいった。

その影響は、すぐに子供たちにも出た。
「ママ、怖い顔してる。怒ってるの?」
長男の陸に言われてハッとした。些細なことで子供を怒鳴り散らし、料理の味付けは濃くなり、家の中の空気が重く淀んでいた。

限界が来たのは、ある金曜日の夜だった。
「今日は飲み会で遅くなる」という健太からのLINE。
美咲は、近くに住む母に子供たちを預け、夫の会社の最寄駅へ向かった。尾行をするためだ。

19時、会社から出てくる人波。マスクをして柱の陰に隠れる。まるでスパイ映画のようだが、現実は惨めさしかなかった。
いた。健太だ。
隣に、茶色いロングヘアの女性がいる。小柄で、可愛らしい雰囲気の女性。二人は親しげに談笑しながら、駅の方へ歩いていく。

(やっぱり……!)

頭に血が上る。今すぐ飛び出して問い詰めたい。
いや、ダメだ。証拠を撮らなきゃ。スマホのカメラを構える。
しかし、手が震えてピントが合わない。通行人が訝しげに私を見る。
二人は改札を通り、電車に乗ってしまった。
追いかけなきゃ。でも、どの車両? 切符は?
パニックになっている間に、電車のドアが閉まり、二人は視界から消え去った。

ホームに取り残された美咲は、その場にしゃがみ込んだ。
涙が溢れて止まらなかった。
悔しさではない。自分の無力さと、夫を追いかけ回す自分の惨めさに泣いたのだ。
素人が下手に動いても、傷つくだけだ。そして、もし尾行がバレていたら、彼はもっと警戒して証拠を隠滅していただろう。

「……もう、無理」

美咲は震える手でスマートフォンを取り出し、ブックマークしていたあるサイトを開いた。
『総合探偵社クロノス』。
「一人で悩まないでください。真実は、あなたの味方です」というキャッチコピーが、涙で滲んで見えた。

第3章:プロフェッショナルとの対話

数日後、美咲は探偵事務所の相談室にいた。
雑居ビルの薄暗い一室を想像していたが、そこは清潔感のあるオフィスで、静かなジャズが流れていた。
対応してくれたのは、藤堂という50代くらいの男性だった。穏やかな口調だが、その目は全てを見透かすように鋭い。

「佐々木さん、今まで大変でしたね。ご自分での調査、怖かったでしょう」

その一言で、張り詰めていた糸が切れたように、美咲は堰を切ったように話し始めた。
レシートのこと、パスワードのこと、駅での尾行失敗のこと。
藤堂は頷きながらメモを取り、決して美咲の行動を否定しなかった。

「ご自分で動かれたのは危険でしたが、そのおかげで『金曜日の夜が怪しい』という傾向が掴めました。これは大きな情報です。調査費用を抑えるポイントになります」

藤堂はホワイトボードを使い、今後のプランを説明し始めた。
素人の調査とプロの調査の違い。それは「法廷で勝てる証拠」が撮れるかどうかだという。
「ただ一緒に歩いている写真や、食事をしている写真では、不貞行為(肉体関係)の証明にはなりません。『ただの同僚だ』『相談に乗っていた』と言い逃れされます。裁判で勝てる証拠とは、ラブホテルへの出入り、あるいは相手の自宅への長時間滞在の映像です」

そして、藤堂は真剣な眼差しで美咲に言った。
「佐々木さん。探偵を使うということは、後戻りできない決断をすることになります。黒という結果が出た時、あなたはそれを直視する覚悟がありますか?」

美咲は膝の上で拳を握りしめた。
「……はい。このまま疑い続けて一生を過ごすより、真実を知って、前に進みたいんです。陸や陽菜のためにも、笑っているママに戻りたいんです」

「わかりました。我々にお任せください。必ず、決定的な証拠を押さえます」

契約書にサインをした瞬間、不思議と肩の荷が下りた気がした。
もう、一人で暗闇の中を彷徨わなくていいのだ。ここからは、プロが私の代わりに戦ってくれる。

第4章:ハンティング・タイム

調査決行日は、次の金曜日と決まった。
美咲はその日、いつも通りに振る舞った。
「いってらっしゃい」と笑顔で夫を送り出す。心臓はバクバクしていたが、藤堂からのアドバイス通り、「普段通り」を徹底した。

探偵チームの調査は、リアルタイムでLINE報告が入る形式だった。
18:00。『対象者、退社しました。これより追尾を開始します』
美咲は自宅のリビングで、スマホを握りしめていた。陸と陽菜がテレビのアニメを見ている横で、水面下では夫の追跡劇が行われている。この非日常感が、恐ろしくもあり、頼もしくもあった。

18:15。『駅前で女性(第2対象者)と接触。以前目撃された女性と特徴が一致します』
送られてきた画像には、鮮明に写った夫と女性の姿。以前美咲がホームで撮ろうとして失敗したアングルとは比べ物にならない、望遠レンズによる鮮やかな一枚だった。

18:30。『居酒屋〇〇に入店。カウンター席に着席』
19:50。『退店しました。二人は手を繋いでいます。タクシーに乗車しました』
20:10。『タクシー、○○町のホテル街で停車。二人はラブホテル「シルク」に入りました』

「入りました」の文字を見た瞬間、美咲の時が止まった。
証拠写真が送られてくる。
ネオン輝くホテルの入口。夫が女性の腰に手を回し、吸い込まれるように入っていく姿。
言い逃れようのない、決定的な瞬間。

ショックだった。覚悟はしていたつもりだったが、実際に画像で見ると、内臓を雑巾で絞られるような痛みがあった。
でも、同時に頭のどこかで冷静な声がした。
(やっぱり、黒だったんだ。私の勘違いじゃなかった。私は狂ってなんかいなかった)

自分の感覚が正しかったことへの安堵。そして、もう「疑う」という苦しい作業をしなくていいという解放感。

23:00。『対象者、ホテルより退室しました。これより帰宅ルートに入ったのを確認し、本日の調査を終了します』

藤堂からのメッセージには、こう添えられていた。
『お辛いでしょうが、今はまだ夫を問い詰めないでください。報告書として製本し、弁護士を交えた「武器」にしてからが、本当の戦いです。今日はゆっくりお休みください。あなたは一人ではありません』

その夜、帰宅した健太は、シャワーを浴びて上機嫌だった。
「いやー、今日の飲み会は長引いちゃってさ」
美咲は背中越しに、「お疲れ様」とだけ言った。
今までなら「誰と飲んだの?」「嘘つき」と心の中で叫んでいただろう。
しかし今は違う。私には「真実」という切り札がある。泳がせているのはこちらなのだ。そう思うと、夫の嘘が滑稽な喜劇に見えてきた。

第5章:審判の日、テーブルの上の「爆弾」

1週間後。美咲の手元には、黒い表紙の「調査報告書」があった。
厚さは1センチほど。その中には、分単位の行動記録、地図、そして暗闇でも表情まではっきりわかる鮮明な写真の数々が収められている。
それは、法的に夫を「有責配偶者」とし、美咲が主導権を握るための最強の武器であり、核爆弾だった。

週末の夜、子供たちを実家に預け、美咲は静まり返ったリビングのダイニングテーブルにその報告書を置いた。
時計の針は21時を回っている。

「話があるの」
缶ビールを開けようとしていた健太の手が止まる。
「なんだよ、改まって。疲れてるんだけど」
「大事な話。これ、見て」

美咲は報告書を彼の方へ滑らせた。黒い表紙が、冷たい音を立ててテーブルを移動する。
健太は怪訝そうな顔で、それを手に取った。「……なんだこれ?」
1ページ目をめくる。
そこには、先週の金曜日、彼が退社した瞬間の写真が貼られていた。
2ページ目。駅前で女性と待ち合わせる笑顔の彼。
3ページ目。居酒屋での密着したツーショット。

健太の顔から、サーッと血の気が引いていくのがわかった。
手が震え、ページをめくる音がカサカサと乾いた音を立てる。
そして、決定的なページ——ラブホテルの入口に吸い込まれていく二人の写真と、3時間後の退室写真——で、彼の手が止まった。

「……な、なんだこれ。誤解だ、これは……相談に乗ってただけで……」
しどろもどろに言い訳を始める夫。その額には、じっとりと脂汗が滲み出ている。

「誤解? ラブホテルに3時間も滞在して? 休憩しただけとか、打ち合わせしてたとか言わないでね。裁判所はそんな言い訳、認めてくれないって弁護士さんも言ってたわ」

美咲の声は震えていなかった。
不思議だった。あんなに怖かった夫が、今はまるで、いたずらが見つかった子供のように小さく見える。探偵と弁護士からレクチャーを受け、事実という「武器」を持っている自分が、圧倒的な強者であることを自覚していた。

「相手の女性、会社の部下の〇〇さんよね。住所も氏名も判明してるわ」
「……探偵を、つけたのか?」
健太が睨みつけてきた。以前の美咲なら、その威圧感に怯んでいただろう。
「ええ、つけたわ。あなたが私を不安にさせたから。あなたが嘘をつき続けたからよ」
美咲は真っ直ぐに夫の目を見据えた。視線を逸らさなかった。
「自分を守るために、陸と陽菜の未来を守るために、プロに頼んだの。……さて、これからどうするか、話し合いましょうか」

健太は肩を落とし、長い沈黙の後、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「……すまなかった」
消え入るような声だった。
その姿を見て、美咲の中にあった「夫への恐怖」や「執着」、そして「私が悪かったのかもしれない」という自責の念が、音を立てて崩れ去った。

彼は万能な支配者でも何でもない。ただの、誘惑に負け、脇が甘く、言い逃れしようとした弱い男だったのだ。

第6章:再構築という名の「完全勝利」

その後、美咲はすぐには離婚を選ばなかった。
「子供のためにパパは必要」という思いと、「今離婚しても経済的に苦労するかもしれない」という冷静な計算があったからだ。

美咲は探偵事務所が紹介してくれた弁護士を介して、徹底的な事後処理を行った。

  1. 浮気相手への制裁
    浮気相手の女性には、弁護士名義で内容証明郵便を送付。「慰謝料150万円の支払い」と「今後一切の業務外での接触禁止(LINEブロック・削除含む)」、そして「違反した場合は違約金100万円」という示談書にサインさせた。彼女は社内不倫が公になることを恐れ、即座に応じた。
  2. 夫との「契約」
    夫とは「再構築」の道を選んだが、それは以前のような対等な関係ではない。
    公正証書を作成し、以下の条件を飲ませた。
    • 財産管理の移行: 夫は小遣い制(月3万円)となり、通帳とカードは全て美咲が管理する。
    • 透明性の確保: スマホのGPS位置情報共有アプリの導入と、パスワードの共有。
    • ペナルティ: 「次に不貞行為をした場合、即座に離婚に応じ、慰謝料500万円を支払い、親権は母親が持ち、養育費は算定表の上限額を支払う」こと。

いわば、美咲は夫の「首輪」を握ったのだ。
この条件は過酷に見えるかもしれないが、不貞の証拠(調査報告書)がある以上、夫に拒否権はなかった。拒否すれば、報告書を持って離婚調停を起こされ、社会的信用も財産も失うことが目に見えていたからだ。

エピローグ:探偵という「保険」がくれたもの

騒動から半年が経った。
不思議なことに、以前より家庭内は穏やかになった。
健太は失った信頼を取り戻そうと、必死に育児と家事に参加している。飲み会も断り、休日は子供と公園に行くようになった。それは罪滅ぼしかもしれないし、公正証書への恐怖かもしれない。

美咲も、彼を監視する必要がなくなったため、笑顔が増えた。
以前のように夫のスマホを盗み見てビクビクする必要はない。GPSを見ればどこにいるか分かるし、何より彼女の寝室の金庫には、あの「調査報告書」という最強のお守りが眠っているからだ。

「いつでもこの人を切ることができる」
その精神的な余裕が、逆に彼女に優しさをもたらしていた。夫への愛情が戻ったかどうかは分からない。しかし、「パートナー」としての新しい関係は築けている。

ある晴れた午後、美咲は公園で子供たちが遊ぶのを見ながら、スマホを取り出した。
探偵事務所の藤堂に、短いお礼のメールを送る。

『おかげさまで、私は私の人生のハンドルを、もう一度自分で握ることができました。あの時、一人で尾行を続けていたら、きっと私は壊れていたと思います。プロに頼んで本当によかった』

風が吹き抜け、美咲の前髪を揺らす。
浮気調査にかかった費用は決して安くはなかった。独身時代の貯金の多くを使った。
しかし、それは「未来への投資」であり、家族を守るための「必要経費」だったのだと、今なら胸を張って言える。

「ママ、見てー!」
ブランコから陸が手を振る。
「見てるよー! 高いね、すごいね!」

美咲は大きく手を振り返した。その視界には、霧ひとつない、澄み渡った青空が広がっていた。

(終)


あとがき:なぜプロに依頼すべきだったのか

この物語の主人公・美咲のケースからわかるように、浮気調査における「プロへの依頼」には、単に証拠を撮る以上の重要なメリットがあります。

  1. 精神的安定: 自力調査による罪悪感、恐怖、失敗への不安から解放され、子供や日常生活に向き合えるようになります。
  2. 決定的証拠の入手: 裁判で勝てる(相手に言い逃れさせない)品質の報告書は、素人のスマホ撮影やGPS履歴だけでは不可能です。「ラブホテルの出入り」という動かぬ証拠が必要です。
  3. 法的リスクの回避: 違法な調査(不正アクセスや住居侵入など)をして、逆に訴えられるリスクを回避できます。
  4. 交渉力の逆転: 「動かぬ証拠」を持つことで、離婚する・しないに関わらず、依頼者が圧倒的に有利な立場で話し合いを進められます。

もし今、あなたがパートナーの影に怯えているのなら、美咲のように勇気を出して専門家に相談してみてください。それは決して恥ずかしいことではなく、あなた自身と子供たちの未来を守るための、賢明な「危機管理」なのです。

お問い合わせ 0120-010-473